赤塚 真賢(あかつか まさかた)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。弘治3年(1557年)4月15日に蒲生氏、菱刈氏との戦いのときに初陣を果たし、その際に首級も上げた。永禄4年(1561年)7月12日の廻坂の戦いにおいても首級を上げ、島津義久より槍を賜っている。永禄7年(1564年)、島津義弘に従い真幸院飯野へと移る。天正4年(1576年)、伊東氏の高原城が落城、三ツ山城も島津に降ると、真賢は三ツ山地頭代及び足軽大将へ任じられ20年以上、三ツ山城でそれを務めた。天正6年(1578年)、久留木康辰、和田円覚院、花堂大円坊と共に、高原城落......
赤塚 真賢(あかつか まさかた)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。弘治3年(1557年)4月15日に蒲生氏、菱刈氏との戦いのときに初陣を果たし、その際に首級も上げた。永禄4年(1561年)7月12日の廻坂の戦いにおいても首級を上げ、島津義久より槍を賜っている。永禄7年(1564年)、島津義弘に従い真幸院飯野へと移る。天正4年(1576年)、伊東氏の高原城が......