貢 禹(こう う、? - 紀元前44年)は、前漢の政治家。字は少翁。琅邪郡の人。同郡の王吉とは友人であり、世間では「王吉が地位を得たら、貢禹も官に仕える」と言っていた。経書に明るく清廉潔白であったことで著名となり、徴されて博士となり、涼州刺史に遷ったが病気となり職を退いた。その後また賢良に推挙され河南県令となった。一年ほどして、職務上のことで太守府に責められ、冠を脱いで謝罪したが、その時に貢禹は「ひとたび冠を脱いだら、どうして再び被ることができようか」と言い、職を辞した。元帝が即位すると、貢禹を徴して諫大夫とし、政治上の事を質問した。貢禹は折からに不作につ......
貢 禹(こう う、? - 紀元前44年)は、前漢の政治家。字は少翁。琅邪郡の人。同郡の王吉とは友人であり、世間では「王吉が地位を得たら、貢禹も官に仕える」と言っていた。経書に明るく清廉潔白であったことで著名となり、徴されて博士となり、涼州刺史に遷ったが病気となり職を退いた。その後また賢良に推挙され河南県令となった。一年ほどして、職務上のことで太守府に責められ、冠を脱いで謝罪したが......