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豊臣秀次

推定知名度22.24%15〜75歳男女
推定知名度18.31%20〜35歳男女

豊臣 秀次(とよとみ ひでつぐ) / 羽柴 秀次(はしば ひでつぐ)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣氏の2代目関白。豊臣秀吉の姉である日秀尼|瑞竜院日秀の長男。幼少時、戦国大名浅井長政の家臣宮部継潤が秀吉の調略に応じる際に人質となり、そのまま養子となって、初名は吉継、仮名 (通称)|通称を次兵衛尉とし、宮部 吉継(みやべ よしつぐ)と名乗った。次いで畿内の有力勢力だった三好氏|三好一族の三好康長|三好康長(笑岩)の養嗣子となり、今度は名を信吉と改めて通称は孫七郎とし、三好 信吉(みよし よしのぶ)と名乗って三好家の名跡を継いだ。秀吉が天下人になると、羽柴姓に復氏して、名も秀次と改名。豊臣姓も下賜された。豊臣鶴松|鶴松が没して世継ぎがいなくなったことから、改めて秀吉の養嗣子とされ、文禄・慶長の役|文禄の役の開始前に関白の職を譲られ、家督を相続した。ところがその後になって秀吉に嫡子豊臣秀頼|秀頼が誕生して、#粛清の理由|理由は諸説あるものの、秀次は強制的に出家させられて高野山金剛峯寺|青巌寺に蟄居となった後に切腹となった。秀次の首は三条大橋|三条河原で獄門|晒し首とされ、その際に眷族も尽く処刑された。

過去の推移