諸葛 尚(しょかつ しょう、245年-263年)は、中国の三国時代末期の軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。蜀の丞相諸葛亮の孫で諸葛瞻の長男。母は諸葛瞻が17歳のときに娶ったという記録がある劉禅の娘か。263年、魏の鄧艾が間道を通って蜀の防衛網をかいくぐることに成功し、成都をめざして侵攻してきたとき、父と共に迎撃にあたった。しかし先鋒隊が涪で敗れたため後退し、綿竹に立て籠もって抗戦し、一時的に敵を撃退するが、鄧艾の前に遂に追いつめられた。このとき、諸葛尚は「さっさと黄皓を斬らなかった為に敗北を招いてしまった。生きていて何になろう」と嘆いて魏軍に突撃。父とともに戦死し......
諸葛 尚(しょかつ しょう、245年-263年)は、中国の三国時代末期の軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。蜀の丞相諸葛亮の孫で諸葛瞻の長男。母は諸葛瞻が17歳のときに娶ったという記録がある劉禅の娘か。263年、魏の鄧艾が間道を通って蜀の防衛網をかいくぐることに成功し、成都をめざして侵攻してきたとき、父と共に迎撃にあたった。しかし先鋒隊が涪で敗れたため後退し、綿竹に立て籠もって抗戦し、一時......