許孚遠(きょ・ふえん、?~1604年)は中国明王朝の官僚。福建巡撫在任中、日本に間諜を派遣し、明軍の日本遠征を計画した。許孚遠は浙江の徳清(現・湖州市徳清県)に生まれ、1582年科挙の進士科に合格した。官歴は工部主事から始まり、吏部主事に転じた後、通政使司右通政に昇進した。1592年福建巡撫(地方長官)張汝済が解任されたため福建巡撫に起用された。折りしも日本軍が朝鮮を占領しており(文禄・慶長の役)、北京の兵部尚書(軍務大臣)石星の命令で福建から日本に間諜を派遣することになっていたため、錦衣衛指揮・史世用を密航船の海商に変装させて大隅国内之浦(現・鹿児島県肝......
許孚遠(きょ・ふえん、?~1604年)は中国明王朝の官僚。福建巡撫在任中、日本に間諜を派遣し、明軍の日本遠征を計画した。許孚遠は浙江の徳清(現・湖州市徳清県)に生まれ、1582年科挙の進士科に合格した。官歴は工部主事から始まり、吏部主事に転じた後、通政使司右通政に昇進した。1592年福建巡撫(地方長官)張汝済が解任されたため福建巡撫に起用された。折りしも日本軍が朝鮮を占領しており......