西村 友晴(にしむら ともはる)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校卒業(第59期)。第6代海上幕僚長。1955年(昭和30年)5月、当時1等海佐で第2護衛隊司令に就任中に、MSA協定に基づく掃海艇の受領のためフィリピン・スービック湾に向かった。この受領に係る作業を日本側だけで手際よくこなしアメリカ側を驚嘆させたという。また、この当時は台湾に逃れた中華民国国軍と大陸側の中国人民解放軍とのあいだで金門島・馬祖島を巡り交戦中であった。交戦海域を直接通過する航路ではなかったが、万が一の事態に備えていたとされる。
西村 友晴(にしむら ともはる)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海軍兵学校卒業(第59期)。第6代海上幕僚長。1955年(昭和30年)5月、当時1等海佐で第2護衛隊司令に就任中に、MSA協定に基づく掃海艇の受領のためフィリピン・スービック湾に向かった。この受領に係る作業を日本側だけで手際よくこなしアメリカ側を驚嘆させたという。また、この当時は台湾に逃れた中華民国国軍と大陸側の中国......