西園寺 実韶(さいおんじ さねつぐ、安永6年12月7日(1778年1月5日) - 天明6年11月23日(1787年1月12日))は、江戸時代後期の公卿。光格天皇(119代)に仕え、官位は従三位左近衛中将。父は一条輝良。養父は西園寺公兼。天明2年(1782年)に叙爵。以降累進して天明6年(1786年)に従三位となり公卿に列した。この年に左近衛権少将から左近衛権中将となり、元服もしたのだが、11月23日に薨去している。享年10。西園寺賞季の子西園寺公氏が名跡を継いだ。
西園寺 実韶(さいおんじ さねつぐ、安永6年12月7日(1778年1月5日) - 天明6年11月23日(1787年1月12日))は、江戸時代後期の公卿。光格天皇(119代)に仕え、官位は従三位左近衛中将。父は一条輝良。養父は西園寺公兼。天明2年(1782年)に叙爵。以降累進して天明6年(1786年)に従三位となり公卿に列した。この年に左近衛権少将から左近衛権中将となり、元服もした......