蠣崎 守広(かきざき もりひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。松前藩の家老。守広系蠣崎家初代。永禄7年(1564年)、蠣崎氏の4代当主・蠣崎季広の十一男として生まれる。兄・松前慶広から別家を立てることを許され、以後は松前氏の家老として兄の補佐を務めた。兄の死後は、その跡を継いで松前藩2代藩主となった公広に仕えた。寛永12年(1635年)、公広の子・氏広を自邸に迎えて饗応した際に火災が起こるという不手際があり、その責任を取る形で自ら火の中に飛び込んだという。享年72。跡を子の友広が継いだ。
蠣崎 守広(かきざき もりひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。松前藩の家老。守広系蠣崎家初代。永禄7年(1564年)、蠣崎氏の4代当主・蠣崎季広の十一男として生まれる。兄・松前慶広から別家を立てることを許され、以後は松前氏の家老として兄の補佐を務めた。兄の死後は、その跡を継いで松前藩2代藩主となった公広に仕えた。寛永12年(1635年)、公広の子・氏広を自邸に迎......