藤原親孝(ふじわら の ちかたか、生没年不詳)は、平安時代中期頃の武士。藤原北家利仁流。藤原貞正の子。右兵衛尉。源頼信の家来で乳母子でもあった。官は兵衛尉だったが性格はやや小心者だったらしく、上野の守であった頼信の下で上野国に赴任していた時、自分の子どもが盗人に人質にとられたために手も足も出せず、頼信に泣きながら助けを求めたことがあり、「我が身を思い、妻子の身を思っては、万事の後れをとることになる。よって、兵の道をたてるにはそうした未練を断ち切らねばならん云々」と諌められたという逸話が『今昔物語』にある。
藤原親孝(ふじわら の ちかたか、生没年不詳)は、平安時代中期頃の武士。藤原北家利仁流。藤原貞正の子。右兵衛尉。源頼信の家来で乳母子でもあった。官は兵衛尉だったが性格はやや小心者だったらしく、上野の守であった頼信の下で上野国に赴任していた時、自分の子どもが盗人に人質にとられたために手も足も出せず、頼信に泣きながら助けを求めたことがあり、「我が身を思い、妻子の身を思っては、万事の後......