藤原 範能(ふじわら の のりよし、生没年不詳)は、平安時代末期の公家。名は教能とも表記される。藤原南家貞嗣流、少納言・藤原通憲(信西)の孫。参議・藤原脩範の長男。官位は従三位・大宰大弐。仁安2年(1167年)叙爵。内舎人・尾張守・治部大輔・左兵衛佐・右近衛少将・但馬守・内蔵頭などを歴任した。建久元年(1190年)従三位・大宰大弐に叙任される。建久3年(1192年)大宰大弐を辞任し、建久7年(1196年)10月出家したが、その後の消息は不明。
藤原 範能(ふじわら の のりよし、生没年不詳)は、平安時代末期の公家。名は教能とも表記される。藤原南家貞嗣流、少納言・藤原通憲(信西)の孫。参議・藤原脩範の長男。官位は従三位・大宰大弐。仁安2年(1167年)叙爵。内舎人・尾張守・治部大輔・左兵衛佐・右近衛少将・但馬守・内蔵頭などを歴任した。建久元年(1190年)従三位・大宰大弐に叙任される。建久3年(1192年)大宰大弐を辞任......