藤原 秀能(ふじわら の ひでよし / ひでとう)は、鎌倉時代初期の武士、廷臣、歌人。藤原北家秀郷流の出身、父は藤原秀宗。最初は内大臣の源通親に仕える。その後、北面武士として朝廷に仕えた。このように武士として仕えていたが、建仁元年(1201年)7月に和歌所寄人として輔任されている。歌人としても朝廷に用いられていたということである。その後は検非違使大夫尉、出羽守と歴任し、承久の乱では朝廷方の大将として一手を担った。このために戦後、鎌倉幕府の命令で熊野山に追放されて出家の身となり、如願と号した。延応2年(1240年)5月21日に死去した。享年は57。『新古今和......
藤原 秀能(ふじわら の ひでよし / ひでとう)は、鎌倉時代初期の武士、廷臣、歌人。藤原北家秀郷流の出身、父は藤原秀宗。最初は内大臣の源通親に仕える。その後、北面武士として朝廷に仕えた。このように武士として仕えていたが、建仁元年(1201年)7月に和歌所寄人として輔任されている。歌人としても朝廷に用いられていたということである。その後は検非違使大夫尉、出羽守と歴任し、承久の乱で......