藤原 弘綱(ふじわら ひろつな、生没年不詳)は戦国時代の人物。史料によっては佐野 藤三とも記される。小弓公方足利義明に仕え、永正11年(1514年)頃には義明の奏者を務めていたことが確認できる。第一次国府台合戦において義明父子が討死すると、佐々木源四郎・逸見八郎・町野十郎らと共に義明の末子頼淳を伴い里見義堯を頼って落ち延びた。
藤原 弘綱(ふじわら ひろつな、生没年不詳)は戦国時代の人物。史料によっては佐野 藤三とも記される。小弓公方足利義明に仕え、永正11年(1514年)頃には義明の奏者を務めていたことが確認できる。第一次国府台合戦において義明父子が討死すると、佐々木源四郎・逸見八郎・町野十郎らと共に義明の末子頼淳を伴い里見義堯を頼って落ち延びた。