藤原 季通(ふじわら の すえみち、生没年未詳)は平安時代末期の廷臣、歌人。権大納言藤原宗通の三男。母は六条修理大夫藤原顕季の女。同母兄弟に伊通(太政大臣)、成通、重通らがある。正四位下、左少将、備後守、肥後守。和歌の才のみならず、琵琶、笛、箏などの管弦に巧みであり、白河上皇の信任が篤かった。しかし、若年時に箏の弟子である藤原璋子(待賢門院、鳥羽天皇中宮)と密通したとの嫌疑を受け、その影響から官途の面では不遇であった。康治元年(1142年)には、弟の成通、重通より官位が余りにも劣っていたことを藤原頼長に憐れまれ、そのはからいによって正四位下に叙せられたとい......
藤原 季通(ふじわら の すえみち、生没年未詳)は平安時代末期の廷臣、歌人。権大納言藤原宗通の三男。母は六条修理大夫藤原顕季の女。同母兄弟に伊通(太政大臣)、成通、重通らがある。正四位下、左少将、備後守、肥後守。和歌の才のみならず、琵琶、笛、箏などの管弦に巧みであり、白河上皇の信任が篤かった。しかし、若年時に箏の弟子である藤原璋子(待賢門院、鳥羽天皇中宮)と密通したとの嫌疑を受け......