藤原 伊輔(ふじわら の これすけ、久寿2年(1155年) - 建保6年(1218年)3月)は、平安時代から鎌倉時代の公卿。父は権中納言藤原伊実、母は刑部卿藤原範兼の娘。永暦元年(1160年)に信濃守(少年受領)となり、その後は侍従、右近権中将などを経て、建久9年(1198年)正月、土御門天皇に昇殿を許され蔵人頭に補任され、後鳥羽上皇の院別当を務めた。同年11月従三位に叙され、建仁2年(1202年)まで右兵衛督を務める。建永元年(1206年)正月、正三位に叙されるが、同年4月に出家。建保6年(1218年)3月に没する。
藤原 伊輔(ふじわら の これすけ、久寿2年(1155年) - 建保6年(1218年)3月)は、平安時代から鎌倉時代の公卿。父は権中納言藤原伊実、母は刑部卿藤原範兼の娘。永暦元年(1160年)に信濃守(少年受領)となり、その後は侍従、右近権中将などを経て、建久9年(1198年)正月、土御門天皇に昇殿を許され蔵人頭に補任され、後鳥羽上皇の院別当を務めた。同年11月従三位に叙され、建......