薬丸 兼将(やくまる かねまさ、生年不詳 - 天正4年(1576年))は、戦国時代の武将。出雲守。諱は兼政とも。号は湖雲、または孤雲。子は兼持。肝付兼続の時代から重臣として仕えたといわれる。永禄4年(1561年)、兼続の名代として出席した島津氏の重臣・伊集院忠朗が開いた宴席にて、鶴の羹で供応されたことを、肝付氏の家紋についてのことで忠朗から侮辱されたとして激怒し、これが島津氏と肝付氏の抗争の原因であるとする後世の創作逸話があるが、実際にはこの時点で島津家と肝付家の抗争は始まっている。兼将は兼続に従って島津氏と戦い、一時は鹿児島城下まで攻め入るほどであった。......
薬丸 兼将(やくまる かねまさ、生年不詳 - 天正4年(1576年))は、戦国時代の武将。出雲守。諱は兼政とも。号は湖雲、または孤雲。子は兼持。肝付兼続の時代から重臣として仕えたといわれる。永禄4年(1561年)、兼続の名代として出席した島津氏の重臣・伊集院忠朗が開いた宴席にて、鶴の羹で供応されたことを、肝付氏の家紋についてのことで忠朗から侮辱されたとして激怒し、これが島津氏と肝......