薛 煥(せつ かん、''Xue Huan''、1815年 - 1880年)は、清末の官僚。字は覲堂。四川省興文出身。道光24年(1844年)に挙人となり、道光29年(1849年)に江蘇省金山県の知県に選ばれた後、小刀会と戦って昇進を重ねた。咸豊10年(1860年)に太平天国軍が第二次江南大営攻略を成功させると、両江総督の何桂清は上海に逃亡し、江蘇巡撫の徐有壬は蘇州で戦死した。この緊急時に江蘇布政使の薛煥は江蘇巡撫の職を引き継ぎ、両江総督代理となった。薛煥は朝廷に火砲と艦艇の購入を上奏して、上海の防衛を固めるのに尽力した。翌咸豊11年(1861年)4月に曽国......
薛 煥(せつ かん、''Xue Huan''、1815年 - 1880年)は、清末の官僚。字は覲堂。四川省興文出身。道光24年(1844年)に挙人となり、道光29年(1849年)に江蘇省金山県の知県に選ばれた後、小刀会と戦って昇進を重ねた。咸豊10年(1860年)に太平天国軍が第二次江南大営攻略を成功させると、両江総督の何桂清は上海に逃亡し、江蘇巡撫の徐有壬は蘇州で戦死した。この......