董 卓(とう たく、? - 初平3年4月23日(192年5月22日))は、中国後漢末期の武将・政治家。涼州隴西郡臨洮県(甘粛省定西市臨洮県)の人。字は仲穎(ちゅうえい)。父は董君雅(『英雄記』)。母は池陽君。兄は董擢(『英雄記』)。弟は董旻。子は男子数名と女子一人(牛輔の妻)。甥(兄の子)は董璜。孫娘は董白(『英雄記』)。辺境の将軍の1人にすぎなかったが、軍事力を背景に次第に頭角を現すようになった。霊帝死後の政治的混乱に乗じて政治の実権を握り、少帝を廃して献帝を擁立し、一時は宮廷で権勢をほしいままにしたが、諸侯や他の朝臣らの反感......
董 卓(とう たく、? - 初平3年4月23日(192年5月22日))は、中国後漢末期の武将・政治家。涼州隴西郡臨洮県(甘粛省定西市臨洮県)の人。字は仲穎(ちゅうえい)。父は董君雅(『英雄記』)。母は池陽君。兄は董擢(『英雄記』)。弟は董旻。子は男子数名と女子一人(牛輔の妻)。甥(兄の子)は董璜。孫娘は董白(『英雄記』)。辺境の将軍の1人にすぎなかった......