菅沼 定実(すがぬま さだざね、寛永6年(1629年) - 元禄4年11月4日(1691年12月23日)は、交代寄合の初代新城領主。丹波亀山藩主・菅沼定芳の子。菅沼定昭の異母弟。母は父の継室三次一任の養女(一任の孫娘)。はじめ定治とも。通称、主水。摂津守。妻は信濃松本藩主・水野忠清の娘。子に定易。丹波亀山では、総石4万1,100石から2,000石を分給されていたが、異母弟・定賞へも1,100石を分与されている。正保4年9月21日(1647年10月18日)、藩主である長兄・左近将監定昭が死去。兄に嗣子は無く、また定実ら弟達も兄の継嗣と登録されていなかったため......
菅沼 定実(すがぬま さだざね、寛永6年(1629年) - 元禄4年11月4日(1691年12月23日)は、交代寄合の初代新城領主。丹波亀山藩主・菅沼定芳の子。菅沼定昭の異母弟。母は父の継室三次一任の養女(一任の孫娘)。はじめ定治とも。通称、主水。摂津守。妻は信濃松本藩主・水野忠清の娘。子に定易。丹波亀山では、総石4万1,100石から2,000石を分給されていたが、異母弟・定賞へ......