画像引用元: www.ford-shinshu.com荒虎敬之助
推定知名度0.24%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
荒虎 敬之助(あらとら けいのすけ、1844年1月4日〈天保14年11月15日 (旧暦)|11月15日〉 - 1882年〈明治15年〉9月19日)は、若藤部屋及び伊勢ノ海部屋に所属した元力士。本名は小室 敬之助。武蔵国北埼玉郡(現在の埼玉県加須市)出身。身長・体重は不明。最高位は東小結。子供の時から相撲好きだった。体も大きく、古川藩の侍2人と喧嘩をした時に2人とも掴んで拍子木の如く打ち合わせたと伝わる。1865年2月場所で初土俵(序ノ口)を踏んだが突如として沸き起こった。そこで荒虎はタニマチ|贔屓の安藤則命・中警視の勧めで力士の消防別手組(東京市中の火事に対応する消防団。1878年11月解散)への編入を会所に進言し、綱引きと長距離競走の試験で認可を受けて若い力士達を活躍させ、政府に相撲界の存在価値を示して危機を救ったのである。その後、6代若藤を襲名し、二枚鑑札となった(1880年頃と言われているが、詳しい時期は不明)。1881年1月場所で小結に昇進。しかし翌1882年になると長年の過労から体調を崩すようになり、6月場所を全休。38歳の若さだった。この年の秋巡業では、2日後の9月21日にも新潟県で荒角金太郎(9代桐山)が急死しているだけに、相次ぐ現役力士の死去に角界には衝撃が走ったと伝わる。幕内16場所、36勝34敗29分9預52休の成績を残した。改名歴なし
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