若林 統昌(わかばやし むねまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。大友氏家臣の水軍の将・若林鎮興の嫡男。若林氏は元々下野国の豪族で、室町時代初期より前に大友氏に仕えた。豊後国佐賀郷一尺屋を所領とし、その地理的要素も加わり、大友氏の水軍衆としてその中核を担った。天正6年(1578年)の元服に際して、主君・大友義統より偏諱を賜い、統昌と名乗る。天正14年(1586年)、島津氏が北上し、豊後国へ侵入した際は、海辺郡丸尾砦にて防戦した。文禄2年(1593年)、文禄の役の際、主君・大友義統が「明軍の来襲を前に退去した」とされて、豊臣秀吉の命により改易......
若林 統昌(わかばやし むねまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。大友氏家臣の水軍の将・若林鎮興の嫡男。若林氏は元々下野国の豪族で、室町時代初期より前に大友氏に仕えた。豊後国佐賀郷一尺屋を所領とし、その地理的要素も加わり、大友氏の水軍衆としてその中核を担った。天正6年(1578年)の元服に際して、主君・大友義統より偏諱を賜い、統昌と名乗る。天正14年(1586年)......