若干皇后(じゃっかんこうごう、生没年不詳)は、西魏の恭帝元廓の皇后。本貫は代郡武川県。若干恵の娘として生まれた。容色に優れており、斉王元廓に迎えられ、妃に立てられた。554年(恭帝元年)、元廓が即位すると、彼女は皇后に立てられた。後に出家して尼となり、仏寺で死去した。諡号はなかった。
若干皇后(じゃっかんこうごう、生没年不詳)は、西魏の恭帝元廓の皇后。本貫は代郡武川県。若干恵の娘として生まれた。容色に優れており、斉王元廓に迎えられ、妃に立てられた。554年(恭帝元年)、元廓が即位すると、彼女は皇后に立てられた。後に出家して尼となり、仏寺で死去した。諡号はなかった。