芥川孫十郎の画像画像引用元: files.hangame.co.jp

芥川孫十郎

推定知名度0.2%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

芥川 孫十郎(あくたがわ まごじゅうろう、生没年不詳)は、戦国時代の武将。摂津国芥川山城主。三好氏の一族で芥川長光の子。妻は従兄に当たる三好元長の娘とされているが、諸説あり定かでない。諱は不明。天文15年(1546年)に細川氏綱・遊佐長教が反乱を起こし、摂津の諸城を攻撃し始めると他の国人達に倣い9月18日に降伏し、芥川山城を薬師寺元房に奪われた。しかし、翌天文16年(1547年)に三好長慶と主君の細川晴元が反撃すると6月25日に元房が降伏、芥川山城は返却された。天文17年(1548年)に長慶が晴元及び同族の三好政長に反旗を翻すと長慶に同調し、摂津と山城国の国境付近を封鎖して晴元・政長軍の行軍を妨害、翌天文18年(1549年)の江口の戦いの勝利に貢献した。天文21年(1552年)4月に長慶が丹波国に遠征すると、晴元派の波多野晴通と内通して長慶に背いた。12月に一旦長慶の下に帰参したが、翌天文22年(1553年)7月に足利義藤と結んだ晴元に呼応して再び反逆、長慶を東西から挟撃した。しかし、即座に芥川山城を包囲され、8月に義藤らも長慶に敗れ近江国坂本へ退避したため孤立する。8月22日に芥川山城を長慶に明け渡し降伏し、長慶の弟三好実休を頼り阿波国へ出立するが、以後消息不明となる。長慶は芥川山城を居城として三好氏の最盛期を築いた。

過去の推移