能勢 頼一(のせ よりかず、元禄3年(1690年) - 宝暦5年5月11日(1755年6月20日) )は、江戸時代中前期の旗本で、江戸北町奉行となった人物。能勢頼雄の子。通称、甚四郎。官位は従五位下肥後守。室は竹田政就の娘。子女は菅沼武勝室、能勢一英、ほかに女子ひとり。父の能勢頼雄が没し、元禄3年12月に1歳で跡目相続し小普請となった。宝永4年(1707年)11月、小性組番士、宝永6年12月に小納戸、享保12年(1727年)6月、小十人頭を歴任し、同12月、布衣を着することを許された。宝永14年11月、小性組組頭に昇進し、宝永20年10月、目付となった。寛......
能勢 頼一(のせ よりかず、元禄3年(1690年) - 宝暦5年5月11日(1755年6月20日) )は、江戸時代中前期の旗本で、江戸北町奉行となった人物。能勢頼雄の子。通称、甚四郎。官位は従五位下肥後守。室は竹田政就の娘。子女は菅沼武勝室、能勢一英、ほかに女子ひとり。父の能勢頼雄が没し、元禄3年12月に1歳で跡目相続し小普請となった。宝永4年(1707年)11月、小性組番士、宝......