初代 忠吉は、肥前新刀鍛冶。橋本新左衛門。龍造寺家の家臣である橋本道弘の子。名手とされる。新刀最上作最上大業物 山城国埋忠明寿門人。初代忠吉は元亀3年(1572年)、高木瀬村長瀬(現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に生まれた。橋本家は元々武士で少弐氏の一族とされる。九州の大名龍造寺氏に仕えていたが、祖父の盛弘と父の道弘は天正12年(1584年)3月24日に島原での沖田畷の戦いの際に討死をしている。この時忠吉はまだ13歳であったがために、軍役叶わずとして知行断絶した。このため一家は刀匠に転身し、慶長元年(1596年)に 上京して、山城国の埋忠明寿(うめただみょ......
初代 忠吉は、肥前新刀鍛冶。橋本新左衛門。龍造寺家の家臣である橋本道弘の子。名手とされる。新刀最上作最上大業物 山城国埋忠明寿門人。初代忠吉は元亀3年(1572年)、高木瀬村長瀬(現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に生まれた。橋本家は元々武士で少弐氏の一族とされる。九州の大名龍造寺氏に仕えていたが、祖父の盛弘と父の道弘は天正12年(1584年)3月24日に島原での沖田畷の戦いの際に......