耿 精忠(こう せいちゅう:? - 康熙21年〈1682年〉)は、清朝の軍人、靖南王。三藩の乱の参加者の1人である。耿精忠は耿仲明の孫にあたり、耿継茂の長男になる。耿家の先祖は代々山東に住んでいたが、遼東の蓋州衛に移った。耿仲明は毛文竜(zh)の配下の将として参加した。後に、毛文竜が袁崇煥に殺されると、孫元化(zh)の配下に身を投じた。孫元化が明朝に殺されると、ヌルハチに降った。順治帝がドルゴンとともに、北京に入ると、耿仲明は1649年靖南王に封じられた。耿仲明死後、息子の耿継茂が藩王位を継ぎ、1671年に耿継茂が没すと耿精忠が藩王位を継いだ。耿精忠は粛親......
耿 精忠(こう せいちゅう:? - 康熙21年〈1682年〉)は、清朝の軍人、靖南王。三藩の乱の参加者の1人である。耿精忠は耿仲明の孫にあたり、耿継茂の長男になる。耿家の先祖は代々山東に住んでいたが、遼東の蓋州衛に移った。耿仲明は毛文竜(zh)の配下の将として参加した。後に、毛文竜が袁崇煥に殺されると、孫元化(zh)の配下に身を投じた。孫元化が明朝に殺されると、ヌルハチに降った。......