綾部 鎮幸(あやべ しげゆき、生没年不詳)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。初名は賢幸。受領名は備前国|備前国司|守。肥前国綾部庄の地頭・綾部通俊の末裔。天文 (元号)|天文20年(1551年)、佐賀城|村中城(現在の佐賀城)に拠っていた龍造寺隆信の宗家相続に反対し、龍造寺鑑兼に属した。永禄元年(1558年)の江上武種攻めに従い、天正3年(1575年)以降も龍造寺氏に従って活躍した。
綾部 鎮幸(あやべ しげゆき、生没年不詳)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。龍造寺氏の家臣。初名は賢幸。受領名は備前国|備前国司|守。肥前国綾部庄の地頭・綾部通俊の末裔。天文 (元号)|天文20年(1551年)、佐賀城|村中城(現在の佐賀城)に拠っていた龍造寺隆信の宗家相続に反対し、龍造寺鑑兼に属した。永禄元年(1558年)の江上武種攻めに従い、天正......