結城 親朝(ゆうき ちかとも)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。結城宗広の嫡男。父の宗広や弟の親光と共に鎌倉幕府の討幕運動に参加して功績を挙げた。建武の新政で陸奥将軍府が設置されると、評定衆・引付頭人に任じられ、白河などの所領を与えられた。足利尊氏と後醍醐天皇による争いが起こるとはじめは父と共に南朝勢力として転戦した。父の宗広とは独自の地盤(後の小峰氏の元となる)を築いていたが、延元3年/暦応元年(1338年)に父が病死すると、長男の顕朝を送り込んでその遺領を支配させた。興国元年/暦応3年(1340年)には白河小峰城を築城し、別家の小峰氏を創設......
結城 親朝(ゆうき ちかとも)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。結城宗広の嫡男。父の宗広や弟の親光と共に鎌倉幕府の討幕運動に参加して功績を挙げた。建武の新政で陸奥将軍府が設置されると、評定衆・引付頭人に任じられ、白河などの所領を与えられた。足利尊氏と後醍醐天皇による争いが起こるとはじめは父と共に南朝勢力として転戦した。父の宗広とは独自の地盤(後の小峰氏の元となる)を築......