結城 朝広(ゆうき ともひろ、建久元年(1190年)- 没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将。結城氏の第2代当主。初代当主、結城朝光の長男。母は伊賀朝光の娘。正室は安保実光の娘。通称は結城七郎。承久3年(1221年)、承久の乱では幕府側に与して北陸道の大将として参戦し、越中における朝廷軍との戦いで戦功を挙げた。その功績により、兵衛尉・左衛門尉に任じられる。その後、検非違使となって京都の警護に功を挙げ、仁治3年(1242年)には正五位下、大蔵権少輔に任じられた。その後はそれまでの功績をもって幕政で重きを成し、結城氏の全盛期を創出した。没年は詳しく分かっていないが......
結城 朝広(ゆうき ともひろ、建久元年(1190年)- 没年不詳)は、鎌倉時代中期の武将。結城氏の第2代当主。初代当主、結城朝光の長男。母は伊賀朝光の娘。正室は安保実光の娘。通称は結城七郎。承久3年(1221年)、承久の乱では幕府側に与して北陸道の大将として参戦し、越中における朝廷軍との戦いで戦功を挙げた。その功績により、兵衛尉・左衛門尉に任じられる。その後、検非違使となって京都......