粟田口 忠良(あわたぐち ただよし、長寛2年(1164年) - 嘉禄元年5月16日(1225年6月23日))は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。摂政近衛基実の次男。母は左京大夫藤原顕輔の娘。異母兄に近衛基通がある。正二位、大納言。鳴滝大納言と号す。粟田口を家号とし、粟田口家の祖となる。
粟田口 忠良(あわたぐち ただよし、長寛2年(1164年) - 嘉禄元年5月16日(1225年6月23日))は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。摂政近衛基実の次男。母は左京大夫藤原顕輔の娘。異母兄に近衛基通がある。正二位、大納言。鳴滝大納言と号す。粟田口を家号とし、粟田口家の祖となる。