粟崎遊園(あわがさきゆうえん)とは、かつて石川県河北郡内灘村(現 内灘町)に存在した遊園地である。1925年(大正14年)、浅野川電気鉄道社長で、材木商であった平澤嘉太郎によって開設された。同時期、金石電気鉄道が経営する涛々園が近くにあり、互いに競い合うように拡張を行っていた。1941年(昭和16年)に軍に接収され閉園。戦後も再開されること無く歴史を閉じた。
粟崎遊園(あわがさきゆうえん)とは、かつて石川県河北郡内灘村(現 内灘町)に存在した遊園地である。1925年(大正14年)、浅野川電気鉄道社長で、材木商であった平澤嘉太郎によって開設された。同時期、金石電気鉄道が経営する涛々園が近くにあり、互いに競い合うように拡張を行っていた。1941年(昭和16年)に軍に接収され閉園。戦後も再開されること無く歴史を閉じた。