粉河寺(こかわでら)は、かつて下野国河内郡宇都宮(現在の栃木県宇都宮市本町付近)にあった天台宗の寺院。下野宇都宮氏第10代当主の宇都宮氏綱が遠征先の紀伊国粉河寺で客死したことから、第12代当主の宇都宮満綱が宇都宮城下に紀の粉河寺千手観音を勧請して当寺を建立したという。当寺は宇都宮氏の庇護の下で隆盛し、戦国時代には慈眼大師天海が青年期に当寺の住職であった皇舜僧正に師事し天台宗を学んだと伝えられる(天文19年頃)。慶長7年、宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されたのに伴って没落したが、江戸時代には徳川家の手で再興され当寺の境内面積は宇都宮城下屈指であり、東照大権現......
粉河寺(こかわでら)は、かつて下野国河内郡宇都宮(現在の栃木県宇都宮市本町付近)にあった天台宗の寺院。下野宇都宮氏第10代当主の宇都宮氏綱が遠征先の紀伊国粉河寺で客死したことから、第12代当主の宇都宮満綱が宇都宮城下に紀の粉河寺千手観音を勧請して当寺を建立したという。当寺は宇都宮氏の庇護の下で隆盛し、戦国時代には慈眼大師天海が青年期に当寺の住職であった皇舜僧正に師事し天台宗を学ん......