筑紫満門(つくし みつかど、? - 大永4年(1524年)?)は筑前・肥前地域に勢力を張った大身筑紫氏の当主。少弐氏・大内氏に仕えた。父は筑紫教門(秀門ともされるなど、異説も多い)。子は尚門(または秀門、正門)、馬場頼周妻。筑紫惟門は孫か。この時代の筑紫氏の系図は諸説あり、はっきりしない。筑紫氏は足利直冬の末裔とも少弐氏の庶流ともいう。満門ははじめ少弐政資に従い、九州探題の渋川氏の勢力を駆逐するのに貢献した。しかし大内氏が九州に侵攻してくると、少弐氏はしだいに劣勢になり、ついに1497年には政資が自刃し少弐氏が一時滅亡する結果になる。このとき満門は東尚盛ら......
筑紫満門(つくし みつかど、? - 大永4年(1524年)?)は筑前・肥前地域に勢力を張った大身筑紫氏の当主。少弐氏・大内氏に仕えた。父は筑紫教門(秀門ともされるなど、異説も多い)。子は尚門(または秀門、正門)、馬場頼周妻。筑紫惟門は孫か。この時代の筑紫氏の系図は諸説あり、はっきりしない。筑紫氏は足利直冬の末裔とも少弐氏の庶流ともいう。満門ははじめ少弐政資に従い、九州探題の渋川氏......