立花 通堅(たちばな なおかた、寛保2年10月13日(1742年)- 没年不詳)は、江戸時代の筑後国柳河藩士。柳河藩主立花貞俶の子で、藩主立花貞則、立花鑑通や交代寄合である山名義徳の異母弟。実母は江戸浅草生まれの“みね”(永林院)。同母姉に徳島藩主蜂須賀重喜正室の“つて”、谷田部藩主細川興晴正室の“まき”がいる。幼名は富十郎、通称は兵部。兄・鑑通より1字を受けて諱を通堅とする。養子に立花通尹(図書、後の立花鑑寿)。
立花 通堅(たちばな なおかた、寛保2年10月13日(1742年)- 没年不詳)は、江戸時代の筑後国柳河藩士。柳河藩主立花貞俶の子で、藩主立花貞則、立花鑑通や交代寄合である山名義徳の異母弟。実母は江戸浅草生まれの“みね”(永林院)。同母姉に徳島藩主蜂須賀重喜正室の“つて”、谷田部藩主細川興晴正室の“まき”がいる。幼名は富十郎、通称は兵部。兄・鑑通より1字を受けて諱を通堅とする。養......