立花 直次(たちばな なおつぐ、元亀3年(1572年) - 元和3年7月19日(1617年8月20日))は、安土桃山時代の武将、大名、江戸時代前期の旗本。高橋鎮種(紹運)の次男で、初めは高橋姓を名乗った。立花宗茂の実弟。幼名は千若丸。通称は弥七郎、少輔太郎。官途は、主膳正、民部少輔。初名は統増(むねます)で、諱は次に宗一(むねかず)、重種(しげたね)、最後に直次とした。立花姓を家号としたのは慶長19年(1614年)頃以降であり、高橋統増、高橋直次の名でも知られる。号は宗卜。
立花 直次(たちばな なおつぐ、元亀3年(1572年) - 元和3年7月19日(1617年8月20日))は、安土桃山時代の武将、大名、江戸時代前期の旗本。高橋鎮種(紹運)の次男で、初めは高橋姓を名乗った。立花宗茂の実弟。幼名は千若丸。通称は弥七郎、少輔太郎。官途は、主膳正、民部少輔。初名は統増(むねます)で、諱は次に宗一(むねかず)、重種(しげたね)、最後に直次とした。立花姓を家......