立花 寿賰(たちばな ひさとみ)は、江戸時代の武士。柳河藩の家老を務めた。立花政俊を祖とする重臣家の立花両家の一つ、立花内膳家(石高1000石)の6代目当主でもある。妻は立花鑑通の娘・松で、子女は立花種賰ほか4男2女(うち1女は養女)。諱(実名)は初め種輔(たねすけ)だったが、後に義弟で藩主の立花鑑寿から偏諱を賜り、寿徳(ひさとみ)、寿賰(読み同じ)に改名した。「武の家」と言われた立花内膳家の当主だけに、家川念流剣術を皆伝し、宝蔵院流槍術の目録を取得した他、越後流兵学に精通していた。また財政・経済通であったとされる。
立花 寿賰(たちばな ひさとみ)は、江戸時代の武士。柳河藩の家老を務めた。立花政俊を祖とする重臣家の立花両家の一つ、立花内膳家(石高1000石)の6代目当主でもある。妻は立花鑑通の娘・松で、子女は立花種賰ほか4男2女(うち1女は養女)。諱(実名)は初め種輔(たねすけ)だったが、後に義弟で藩主の立花鑑寿から偏諱を賜り、寿徳(ひさとみ)、寿賰(読み同じ)に改名した。「武の家」と言われ......