穴山 信懸(あなやま のぶとお、生年不詳 - 永正10年5月21日(1513年6月30日))は、戦国時代の武将。甲斐国南部河内領の国衆。武田氏系図類によれば、父は甲斐国守護武田信重の次男・穴山信介で四男前後か、母は理関大師。兄弟姉妹は長兄の乙若丸(松岳院大華仁公)、次兄(桂林秋公)、三兄(宝珠院殿慶余公)で弟もいるほか、姉妹には慶寿院がいる。室は『一蓮寺過去帳』に記される「衆一房 穴山殿御内方」か。子に信永(宗九郎)、信堯(刑部小輔)、信風(甲斐守)、清五郎がいるという。娘は武田信昌室で、信縄母か。幼名は不詳、仮名は弥九郎、実名は「信懸」。兵部少輔、刑部大......
穴山 信懸(あなやま のぶとお、生年不詳 - 永正10年5月21日(1513年6月30日))は、戦国時代の武将。甲斐国南部河内領の国衆。武田氏系図類によれば、父は甲斐国守護武田信重の次男・穴山信介で四男前後か、母は理関大師。兄弟姉妹は長兄の乙若丸(松岳院大華仁公)、次兄(桂林秋公)、三兄(宝珠院殿慶余公)で弟もいるほか、姉妹には慶寿院がいる。室は『一蓮寺過去帳』に記される「衆一房......