画像引用元: upload.wikimedia.org稲野花倉吉
推定知名度0.06%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
稲野花 倉吉(いねのはな くらきち、1857年5月8日〈安政4年4月15日 (旧暦)|4月15日〉 - 1889年〈明治22年〉9月15日)は、田子ノ浦部屋及び粂川部屋(8代田子ノ浦[田子ノ浦嘉藏(2代)]の養子となるも後に離縁した)に所属していた元力士。稲ノ花小右エ門としての四股名も有名である。本名は高木 倉吉(後に大坪 倉吉→高木 倉吉(小右衛門)と改姓・改名)。身長,体重共に不明。出身地は現在の愛知県一宮市(旧・尾張国中島郡 (愛知県)|中島郡)。最高位は西前頭7枚目。1876年1月初土俵(二段目〈現在の幕下〉)。1880年1月新十両(西二段目9枚目となり十両相当となった)。1881年1月、西十両9枚目で8勝1敗1分の優勝相当成績を挙げた。1883年1月新入幕。翌5月場所で6勝3敗1休の優勝次点(結果的に生涯唯一の勝ち越し)の成績を残すが、以後不振に陥り、1885年1月場所後に、一旦引退した。その後はタニマチ|贔屓の勧めもあって米の仲買 (商業)|仲買を始めたが、こちらでも芳しくなかった。1887年1月場所後、十枚目格番附外で再入門した。しかし、再入幕はおろか再十両もかなわず、1889年5月場所終了後の9月15日に現役のまま没した。32歳の若さだった。幕内通算 4場所 9勝16敗14休1預の成績を残した。優勝|優勝相当成績1回(十両時代の1881年1月場所)。改名歴は5回にも及ぶ。稲ノ花 倉吉 → 稲野花 倉吉 → 稲の花 倉吉 → 稲の花 小右エ門 → 稲ノ花 小右エ門。
過去の推移
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