稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1931年(昭和6年)5月26日)は、徳島藩の筆頭家老であり、かつ淡路島の洲本城主(現在の兵庫県洲本市)稲田家16代当主。維新後は男爵。母は禎寿院。幼名は小八郎、通称は九郎兵衛。弟に稲田邦衛、妹に酒井忠匡室、陽子(はるこ、北海道大学初代総長佐藤昌介妻)。
稲田 邦植(いなだ くにたね、1855年12月26日(安政2年11月18日) - 1931年(昭和6年)5月26日)は、徳島藩の筆頭家老であり、かつ淡路島の洲本城主(現在の兵庫県洲本市)稲田家16代当主。維新後は男爵。母は禎寿院。幼名は小八郎、通称は九郎兵衛。弟に稲田邦衛、妹に酒井忠匡室、陽子(はるこ、北海道大学初代総長佐藤昌介妻)。