稲津祇空(いなづ ぎくう、寛文3年(1663年) - 享保18年4月23日(1733年6月5日) )は江戸時代前期の俳人。屋号は伊丹屋、通称は五郎右衛門、別号に青流(洞)、敬雨、竹尊者、玉笥山人、有無庵、石霜庵など。当初談林派俳壇で活動したが、後に松尾芭蕉、宗祇の隠棲的な俳風を志向し、後世法師風と称される一派を築いた。弟に椎本芳室がいる。
稲津祇空(いなづ ぎくう、寛文3年(1663年) - 享保18年4月23日(1733年6月5日) )は江戸時代前期の俳人。屋号は伊丹屋、通称は五郎右衛門、別号に青流(洞)、敬雨、竹尊者、玉笥山人、有無庵、石霜庵など。当初談林派俳壇で活動したが、後に松尾芭蕉、宗祇の隠棲的な俳風を志向し、後世法師風と称される一派を築いた。弟に椎本芳室がいる。