稲垣 重綱(いながき しげつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。上野国伊勢崎藩第2代藩主、越後国藤井藩主、同三条藩主、三河国刈谷藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家2代。稲垣氏は文明年間に、伊勢国から三河国宝飯郡に移住した地侍の家系。天正11年(1583年)、三河牛窪城主・牧野康成の家臣(のち徳川氏の直参家臣→伊勢崎藩初代藩主)・稲垣長茂の長男として生まれる。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して真田昌幸(西軍)の居城・信州上田城攻めに参加した。慶長17年(1612年)、父・長茂の死により家督と上野伊勢崎藩1万石......
稲垣 重綱(いながき しげつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。上野国伊勢崎藩第2代藩主、越後国藤井藩主、同三条藩主、三河国刈谷藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家2代。稲垣氏は文明年間に、伊勢国から三河国宝飯郡に移住した地侍の家系。天正11年(1583年)、三河牛窪城主・牧野康成の家臣(のち徳川氏の直参家臣→伊勢崎藩初代藩主)・稲垣長茂の長男として生まれ......