稲垣 太清(いながき もときよ、天保11年9月11日(1840年10月6日)- 明治21年(1888年)9月20日)は、近江山上藩の第8代藩主。三河岡崎藩主・本多忠考の六男。正室は稲垣太篤の長女久。子は稲垣太祥(長男)、民(松平銀太郎室、長女)。官位は従五位下、正五位、若狭守。安政3年(1856年)2月、稲垣太篤の養子となる。安政3年11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12月16日、従五位下若狭守に叙任する。万延元年(1860年)8月6日、養父太篤の隠居により、家督を相続する。文久3年(1863年)7月10日、大番頭に就任する。慶応2年(1866年)......
稲垣 太清(いながき もときよ、天保11年9月11日(1840年10月6日)- 明治21年(1888年)9月20日)は、近江山上藩の第8代藩主。三河岡崎藩主・本多忠考の六男。正室は稲垣太篤の長女久。子は稲垣太祥(長男)、民(松平銀太郎室、長女)。官位は従五位下、正五位、若狭守。安政3年(1856年)2月、稲垣太篤の養子となる。安政3年11月15日、将軍徳川家定に拝謁する。同年12......