稲垣 則茂(いながき のりしげ)は、牧野氏の家臣。上野伊勢崎藩主である稲垣長茂の次子。大胡藩主の牧野忠成に仕え、大坂夏の陣では戦功を挙げた。そのため大胡藩の筆頭家老に任じられて家臣団の第1グループである平助組を主導した。元和2年(1616年)7月の越後長峰藩移封では城地整備の責任者を務めた。元和4年(1618年)の越後長岡藩移封でも城地整備の責任者を務めた。その功により、3村2400石を与えられている。則茂は実子に恵まれず、養子に藩主の子・忠清を迎えていたが、後に実子に恵まれている。寛文5年(1665年)に死去。
稲垣 則茂(いながき のりしげ)は、牧野氏の家臣。上野伊勢崎藩主である稲垣長茂の次子。大胡藩主の牧野忠成に仕え、大坂夏の陣では戦功を挙げた。そのため大胡藩の筆頭家老に任じられて家臣団の第1グループである平助組を主導した。元和2年(1616年)7月の越後長峰藩移封では城地整備の責任者を務めた。元和4年(1618年)の越後長岡藩移封でも城地整備の責任者を務めた。その功により、3村24......