秋山 玉山(あきやま ぎょくざん、1702年7月23日(元禄15年6月29日) - 1764年1月14日(宝暦13年12月12日))は、江戸時代中期の漢学者。名は定政、儀。字は子羽。通称は半次、儀右衛門。熊本藩士中山定勝の次男として豊後国鶴崎で生まれる。母は篠田氏。子のいなかった叔父秋山需庵の養子となり、秋山姓を名乗る。
秋山 玉山(あきやま ぎょくざん、1702年7月23日(元禄15年6月29日) - 1764年1月14日(宝暦13年12月12日))は、江戸時代中期の漢学者。名は定政、儀。字は子羽。通称は半次、儀右衛門。熊本藩士中山定勝の次男として豊後国鶴崎で生まれる。母は篠田氏。子のいなかった叔父秋山需庵の養子となり、秋山姓を名乗る。