秋山昌成(あきやま まさなり、生年不明 - 天正10年(1582年)3月)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、武田勝頼の有力側近。父は秋山万可斎、母は諏訪御料人の従女か。受領名は摂津守、内記。『甲乱記』に拠れば、父の万可斎は尾張浪人小牧新兵衛の子とされ、武田氏に仕えて勝頼生母の諏訪御料人の従女を室とし、秋山姓を与えられたという。昌成は跡部勝資・長坂光堅と共に勝頼期の有力側近で、確実な初見史料では天正2年(1574年)3月の龍朱印状奉者として名が見られ、天正7年(1579年)に摂津守に改称している。『甲陽軍鑑』によれば、昌成は天正10年の武田氏滅亡に際し......
秋山昌成(あきやま まさなり、生年不明 - 天正10年(1582年)3月)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣で、武田勝頼の有力側近。父は秋山万可斎、母は諏訪御料人の従女か。受領名は摂津守、内記。『甲乱記』に拠れば、父の万可斎は尾張浪人小牧新兵衛の子とされ、武田氏に仕えて勝頼生母の諏訪御料人の従女を室とし、秋山姓を与えられたという。昌成は跡部勝資・長坂光堅と共に勝頼期の有力側近で......