福永 祐昺(ふくなが すけあき)は、戦国時代の武将。日向伊東氏の家臣。小身の家柄の出身だが、娘が主君・伊東尹祐に見初められ祐充、祐清、祐吉を生んだことで一躍当主家の外祖父となり、家老の地位を得た。尹祐の死後、若年の祐充が家督を継ぐと専横の振る舞いが多くなり、その有り様は「威勢国中に肩を並ぶる人もなし」とまで評され、譜代家臣団との深刻な対立を招いた。とりわけ山間部の小河領主、嶽の米良氏を被官としたことは稲津氏、落合氏などからの反発が強く、享禄4年(1531年)には都於郡城下において「若き衆」と号する一揆との戦闘行為にまで発展した。祐炳は当主の威光を背景に「守......
福永 祐昺(ふくなが すけあき)は、戦国時代の武将。日向伊東氏の家臣。小身の家柄の出身だが、娘が主君・伊東尹祐に見初められ祐充、祐清、祐吉を生んだことで一躍当主家の外祖父となり、家老の地位を得た。尹祐の死後、若年の祐充が家督を継ぐと専横の振る舞いが多くなり、その有り様は「威勢国中に肩を並ぶる人もなし」とまで評され、譜代家臣団との深刻な対立を招いた。とりわけ山間部の小河領主、嶽の米......