福永 祐友(ふくなが すけとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏、島津氏の家臣。日向国諸県郡野尻城主。元亀3年(1572年)、祐友の仕える日向伊東氏は木崎原の戦いで島津氏に大敗を喫して以降、次第にその勢力を衰退していくことになる。天正4年(1576年)、島津義久率いる3万の兵に長倉祐政の守る高原城が落とされると、小林城・須木城主である米良矩重が義祐への遺恨から島津方に寝返り、三ツ山城・野首城・岩牟礼城も島津氏の支配下に入る。これにより祐友の野尻城は島津氏領の境界及び伊東氏にとっての最前線の城となり、祐友は義祐に幾度も事態の打開を訴え出......
福永 祐友(ふくなが すけとも)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏、島津氏の家臣。日向国諸県郡野尻城主。元亀3年(1572年)、祐友の仕える日向伊東氏は木崎原の戦いで島津氏に大敗を喫して以降、次第にその勢力を衰退していくことになる。天正4年(1576年)、島津義久率いる3万の兵に長倉祐政の守る高原城が落とされると、小林城・須木城主である米良矩重が義祐への遺恨か......