福島 越前守(くしま えちぜんのかみ、生没年不詳)は、戦国時代の武将、今川氏の家臣。福島正成と同一人物とも考えられている。今川氏輝のころに活動。氏輝の母・寿桂尼の側近だったらしく、天文5年(1536年)の花倉の乱で寿桂尼の説得を退けて他の福島一門とともに玄広恵探を擁立。その後、福島氏は恵探の弟・栴岳承芳と駿府で合戦に及ぶが、敗れて久能山に退却。以後の活動は明らかでない。
福島 越前守(くしま えちぜんのかみ、生没年不詳)は、戦国時代の武将、今川氏の家臣。福島正成と同一人物とも考えられている。今川氏輝のころに活動。氏輝の母・寿桂尼の側近だったらしく、天文5年(1536年)の花倉の乱で寿桂尼の説得を退けて他の福島一門とともに玄広恵探を擁立。その後、福島氏は恵探の弟・栴岳承芳と駿府で合戦に及ぶが、敗れて久能山に退却。以後の活動は明らかでない。