破六韓 常(はろくかん じょう、生没年不詳)は、中国の東魏の軍人。字は保年。本貫は附化郡(現在の山西省寿陽県の北)。破六韓孔雀の子。破六韓氏は南匈奴屠各種の単于の末裔とされる。右谷蠡王潘六奚が魏で没し、その子孫が潘六奚を氏としたが、後世の人が誤り伝えて破六韓氏としたという。523年、一族の破六韓抜陵が乱を起こすと、破六韓孔雀はその下で大都督・司徒・平南王となった。のちに孔雀は爾朱栄に降伏して、平北将軍・第一領民酋長となり、死去した。破六韓常は北魏の平西将軍に累進した。高歓が起兵すると、破六韓常は附化郡太守となり、万俟洛とともに高歓に帰順した。撫軍となり、高......
破六韓 常(はろくかん じょう、生没年不詳)は、中国の東魏の軍人。字は保年。本貫は附化郡(現在の山西省寿陽県の北)。破六韓孔雀の子。破六韓氏は南匈奴屠各種の単于の末裔とされる。右谷蠡王潘六奚が魏で没し、その子孫が潘六奚を氏としたが、後世の人が誤り伝えて破六韓氏としたという。523年、一族の破六韓抜陵が乱を起こすと、破六韓孔雀はその下で大都督・司徒・平南王となった。のちに孔雀は爾朱......