石川 頼明(いしかわ よりあき)は、安土桃山時代の武将、大名。忍びの名手ともいわれる。天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いに参戦した兄・兵助一光は、賤ヶ岳の七本槍に並ぶ戦功であったが、同合戦で戦死したため、同年6月に羽柴秀吉より兄の一番槍の感状を得て、1000石を賜り小姓として取り立てられた。慶長3年(1598年)、播磨国、丹後国内において、6450石を加増され、慶長5年(1600年)時点で同国内にて1万2000石を領している。関ヶ原の戦いには西軍に与し、7月の伏見城の戦い、8月の安濃津城攻めに、9月には大津城の戦いに従軍し、城主京極高次退去後の大津......
石川 頼明(いしかわ よりあき)は、安土桃山時代の武将、大名。忍びの名手ともいわれる。天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いに参戦した兄・兵助一光は、賤ヶ岳の七本槍に並ぶ戦功であったが、同合戦で戦死したため、同年6月に羽柴秀吉より兄の一番槍の感状を得て、1000石を賜り小姓として取り立てられた。慶長3年(1598年)、播磨国、丹後国内において、6450石を加増され、慶長5年(......