矢尾板 三印(やおいた さんいん・寛永17年(1640年) - 宝永2年(1705年))は、江戸時代中期の出羽国米沢藩の藩医にして藩儒。幼名は玄春。通称は柏章。号は三印、拙谷。一般的には矢尾板三印で知られる。自宅には後の藩校興譲舘の前身となる学問所が建設されるなど、米沢藩内の学問興隆に貢献した。
矢尾板 三印(やおいた さんいん・寛永17年(1640年) - 宝永2年(1705年))は、江戸時代中期の出羽国米沢藩の藩医にして藩儒。幼名は玄春。通称は柏章。号は三印、拙谷。一般的には矢尾板三印で知られる。自宅には後の藩校興譲舘の前身となる学問所が建設されるなど、米沢藩内の学問興隆に貢献した。